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新聞記事「福島民報」に掲載される




 地元有力新聞の福島民報社の取材により以下記事が掲載(平成19年12月29日発行)されました。



この記事をご欄になられた方たちが、遠方の小名浜や平・四倉からも初詣の参拝に来られ、
「お正月様のお姿」[えびす様・大黒様のお姿」等をもとめていかれました。

---------------------------以下同記事全文----------------------------------------------------------

創建から1500年、幾多の変遷・・・
復興願い境内を整備
いわきの正月寺歳徳神社


 「お正月様(年神様)」を主祭神とする、いわき市小川町の正月寺歳徳神社が、祭務所新設など境内を整備して
初めての正月を迎える。
第六十六代神主の村上森一(もりもと)さん(七七)は「お正月様を参拝し、多くの人に平穏な新年を迎えて
ほしい」と初詣に向け準備を進めている。 
 同神社の御神影版画「お姿」は正月飾りとして各家庭に頒布され、家族に富と繁栄、幸せをもたらすとされる。
 同神社は継体天皇時代の六世紀に創建されたとされているが、明治時代の神仏分離令、廃仏毀釈で衰退、地域の
小さな神社として地元氏子らが訪れる程度になっていた。
 昨年九月に創建千五百年を記念して石鳥居を新設、参拝道を整備した。今年二月には木造平屋建ての祭務所を
建設した。
 今回の整備費用は神主の家族や親族らが工面した。宮城県山元町の国立病院機構宮城病院に入院している弟の
達是さん(七〇)=水戸市=は復興を願い、病床で手紙をしたため福島民報社に寄せた。
 神主の森一さんは「参拝者でにぎわう神社にすることは弟との約束。例年になくにざやかな正月にしたい」と
話し、子どもたちを招いたもちつき大会の開催などを検討している。
 社伝によると、同神社は神仏習合や火災焼失など幾多の変遷を経て寛永二(一六二五)年に「正月寺地福院」
として再興された。
磐城七浜を中心に年神様の総鎮守として栄えた。神社は小川小の裏手にある。かつての小川村中央部で平藩と
三春藩などを結ぶ旧街道の要所だったため、上級官吏や藩主らが休憩したという。
 明治元年に寺院が解体され、地元氏子有志が拝殿を建て直した。翌年に「歳徳神社」と改称。明冶四十四年に
神社の歴史を踏まえて「正月寺歳徳神社」と改めた。

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一部の参拝の方たちと親族とで記念撮影(平成二十年正月元旦)


「前列左から4番目先代祭主森一と6番目が退院した弟達是」





報道番組「読売テレビ ニューススクランブル」にて放映



放送日程:平成21年2月3日 18:15〜19:00の中の特集コーナー
  内容:特集コーナーでは、節分になぜ関西では巻き寿司を丸かぶりするのか?そのルーツや、
     恵方のナゾを紹介する中で、「歳徳神」について、番組ディレクターが下記素朴な疑問を
     祭主に投げかけ祭主がそれに答えるかたちで当神社の「お正月様」が紹介されました。
       Q歳徳様とは、いったいどのような神様なのでしょうか?
       Qなぜ、歳徳様を祀っておられるのでしょうか?
       Q歳徳様はどんな姿をされているのでしょうか? 
        (放送では先代祭主が「お正月様」のお姿を刷る場面も紹介しています。)


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歳徳神

年神様

須佐之男命

天火明命

尾張氏(連)




出雲國一之宮 熊野大社


美保神社


天台寺門宗総本山園城寺 三井寺

本山修験宗総本山 聖護院

出羽三山神社



参考資料

尾張氏考

大和政権と東北つなぐ古墳

以下引用元:共同通信 2017/5/10 18:33

大和政権と東北つなぐ古墳

全長120メートル、福島で確認

福島大が調査した現存する「塚前古墳」の一部(中央)=3月19日、福島県いわき市

 福島大は10日、福島県いわき市小名浜にある「塚前古墳」を調査した結果、全長が最大120mの前方後円墳と推定され、古墳時代後期(6世紀)では東北最大と発表した。菊地芳朗教授(考古学)は「当時、東北地方に大和政権とつながりのある有力な首長がいたことを示すもので、歴史的な価値がある」と説明している。

 古墳は全長120〜95m、台形部分の底辺に当たる幅は70〜45m、円形部分の直径は約53mと推定される。現存は円形部分の一部だけで前方後円墳かどうか不明だったが、菊地教授らによる測量や市教育委員会の発掘調査、明治時代の地図などから古墳の全体像が浮かび上がった。


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